梅田クロス事件 ~ 池田文庫


 池田の逸翁美術館に講演会を聴きに行った。
 時々池田文庫に行くのでその度に思うのだが、住むには最高の街である。日本の電鉄系分譲住宅第1号(明治43年)。サブアーバンライフスタイルの元祖で、芦屋や田園調布の先輩格だけのことはある。そんな街も今は清酒「呉春」の蔵元と言った方が、通りがいいかもしれない。

 昼飯も現地で食べることにして、パスタ付きのランチにした。1.5mmぐらいのパスタを6分で仕上げてあり、とても食感が良かった。私は栄養を摂りたかったので前菜を付けたが、サラダ+パスタ+デザートだと1000円である。毎日1000円の昼飯を食べるわけにはいかないが、CPは★5つあげてもイイ。普段、石橋の飯屋にお世話になっている阪大生の皆さんも、一度是非。



 さて、講演のテーマも「阪急建築の特徴、そのモダニズム」と来た。
 演者は
  石田潤一郎 氏(京都工芸繊維大学)=基調講演
  天野 直樹 氏(竹中工務店)
  野澤 明雄 氏(阪急電鉄OB)
 結果から書くと、ちょっと期待し過ぎたようだ。
 阪急電鉄系の建物に関することはおおむね知っていたので新鮮な驚きが少なかった一方、逆に創始者の小林一三についてはこちらが勉強不足で、話についていけなかった。
 物足りなさを感じたのは、「阪急は典型を作った」と言う(これ自体は認めて良いとは思うんやけど)ややナルシスティックに傾いた話し方に少し飽いたというのが正直なところである。
 それでも、断片的に感じたことを記しておきたい。

・建築意匠
 昨年11月に新装なった梅田阪急百貨店には、1929年(昭和4年)の梅田阪急ビル第1期の時代から続く独特の意匠が受け継がれている。
 丸窓、田の字形の正方形の窓、連続ガラス窓、直線的な庇、アーチ。
 今は無くなった「梅田コマ劇場」の壁の「コマ」の意匠の横に正方形の模様が配列されていたのも、田の字形の窓の延長。

・竹中工務店の関与が極めて多い
 池田室町の2年後に開発した岡町分譲住宅、初代~現代の宝塚大劇場、阪急航空ビル(後のナビオ)、梅田阪急ビル第8期まで(阪急百貨店。昨年新装された阪急百は大林組)、9期(32番街)、DDハウス、西宮球場&西宮ガーデンズ、東京では有楽町マリオン、東宝1000days(有楽町)、etc.
 基本的に「時代の先端を行く」がモットーであり、確かにそのようなポリシー自体は長く使えるのであろう。ただそういったポリシーは阪急だけが掲げたものではない。

・梅田クロス事件
 阪急電鉄梅田駅は地上(1910年)→高架(1926年)→地上(1934年)→高架(1967年~1971年)と言う変遷を経ている。
 一度目の高架駅は、当時地上を走っていた国鉄の線路を越えて御堂筋の前(現在の阪急百貨店の位置)にあった。
 昭和天皇が来阪されるに当たって、その御召列車の上を阪急電車が見下ろす構図が問題となったらしい。それで、当時地上の国鉄を高架に、高架の阪急梅田駅を地上に同時に切り替えろ、という事になって、現に1934年6月1日切替工事が一夜で実行された。
 しかし、帰宅してからインターネットでこの話を検索してみると、どうやら「話はそうあった方が面白い」という事のようでもある。切替自体は既定の方針で最初から地上に降ろす準備はしてあった。ただ「鉄道省が工事費用を阪急側に負担させた」云々がある意味興味本位で伝えられている。この工事を社長の小林一三自ら陣頭指揮をしている映像は、小林一三記念館(小林一三旧邸、写真2)で見ることができる。

 やはり、小林一三の事をもう少し勉強した方が良さそうである。私は宝塚も含めて舞台の事や美術にあまり興味がないので小林一三の自叙伝などは敬遠していたのだが、少々反省させられた。小林は商工大臣や戦災復興院総裁にも就任し、かつ辞表を叩きつけており、この辺の事情には興味がある。また池田文庫に行って、資料を読みたいと思った。
 ちなみに小林は甲州・韮崎の人。現代人で言えば中田英寿が韮崎高校と言えば、通りがいいかな。


レストラン今日行った店レストラン

・Lucci(写真3)
 写真は前菜。アボガドと玉ねぎのペースト他。
 池田市大和町4-19
 http://www.lucci-2008.com/

・池田文庫 池田市栄本町12-1
・逸翁美術館 池田市栄本町12-27
・小林一三記念館 雅俗山荘 池田市建石町7-17
(財)阪急文化財団 http://www.hankyu-bunka.or.jp/

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