はじめてのNY⑲ セオドア・ルーズヴェルト大統領の言葉

・2013.5.2(Thu),9:30(GMT-4)

 10年前、僕が今働いている職場に移った時とほぼ同じ時期に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ。
 当時の社長が、僕に「メンタル面のセルフケアと勉強をしなさい」という指示をして、入社してから約半年の間、週1回火曜日には職場に出ずに、神戸まで出かけて行ってカウンセリングを受けたり、心理学の初歩のようなことを教えてもらったりした。
 朝から晩までそんな事ばっかししていたのかと思われるかもしれないけど、空いた時間にはHAT神戸の県立美術館や、原田線まで上がって動物園でキリンを見たりしていた。
 「坂」は、そこにいた人の影響で読み始めた。面白くて、文庫の8巻を一気に(と言っても半年ぐらいかかったけど)読んだ。
 全8巻のうち、第3巻の半分から後ろ、要するに全体の三分の二ほどが日露戦争を描いている。
 2009年にNHKがこの小説を難産の末にテレビドラマ化した時には、通常の大河の約半分という時間(尺)の短さ、戦闘場面の映像の制作には金がかかりすぎるという事情もあったのだろうが、全く消化不良に思えた。
 原作を読んだ者としては「立見尚文を取り上げてほしかったな」とか「津野田是重の陽気で叱られやすい性格の描写も欲しかった」とか「明石元次郎がストックホルムやパリで奔走する姿も見たかった」などと思ったりした。
 製作費がに限りがあるとか尺が短いのは、止むを得ない。
 ところが、その一方で、原作に無い「日清戦争で大阪の軍人に正岡子規が楯突く」場面や日本海海戦後子規庵で「夏目漱石が正岡律に謝る」場面等を勝手に作ったのは、腹立たしかった。映像ストーリーを制作するにあたって原作にない場面を設けることは、ある意味仕方が無いのかもしれない。ついでに言えば、クレジットに示される原作は「殉死」など、「坂」以外の司馬作品も少し用いられている。
 極めて良くないと思うのは、「主人公だけは、現代的な価値観に照らして正しく(?)描かなければならない」という演出を作ることで、他の大河でも良く見る。司馬遼太郎が調査と執筆に10年、身をすり減らして書いた、複雑に綾なしているはずの物語の次元がどんどん落ちていく。残念ながらこのテレビドラマも例外ではなかった。
 それでも、まだがんばった方だと思う。全13回を観るのを楽しんだ。

 他の作品の話をすると、僕は幕末以前の作品はほとんど見ていない。
 最初から最後まで観たのは「獅子の時代」(1980年=昭和55年)。部分的に視たのは「篤姫」「龍馬伝」それから今年の「八重の桜」。もちろんそれ以前の時代があっての現代日本であり現代世界なのだが、例えば戦国武将ものは、全くと言っていいほど面白さがわからない。この理由は上手く説明できない。要は不勉強なのだ。
 少し別の言い方をすると、僕は「日本国外の場面」や「外国人の出てくる場面」に弱い。
 例えば「獅子の時代」は「八重の桜」同様、会津藩が新政府軍に徹底的に叩き潰されることをメイントピックとしているが、最初の1か月の舞台はパリ万博である。パリ・リヨン駅で主人公が拳銃で撃たれる冒頭のシーンは今でもよく覚えており、この構図を見たくて、9年前の渡欧時にリヨン駅を訪れ、マルセイユまで往復した。今は状況が変わっているかもしれないけど意外と素朴な感じがした。
 
Gare de Lyon(Paris) Voie #9

 さて、「坂」は事実上明治以降の物語なのだが、それ以前のことも書いてある。
 例えば、1861年対馬にロシアがやってきて危機一髪侵略を免れたとか。あるいは、幕末にフランスが徳川幕府を徹底的に支援したが、その内実は小栗上野介を抱き込んで新国家の構想を与え「徳川家は武力をもって専制政権を確立しなさい、軍隊はわれわれが提供する」というもので、小栗の政敵・勝海舟による反対運動のため挫折し、日本は(当時の)ベトナムと同じ運命を辿ることを間一髪免れたとか、といった出来事である。
 19世紀という、地球全体が「殺るか殺られるか」という時代に、日本の対外関係も複雑な様相を見せる。それは日清戦争のような「国際法上の定義で言う戦争」だけがあったのではなく、上段で触れたロシアやフランスによる「未遂」もそうだし、対米英仏露蘭等の不平等条約の改正問題などもある意味戦いであるし、また加えて明治の初期には内戦もあった事は言うまでもない。
 小説の中盤~後半で描かれる日露戦争について、司馬遼太郎は「当時の政府や日本軍の最高司令部は、どうやって戦争を終了するかを開戦前から常に考え続けていた」という事を強調している。
 現在の中国東北部から朝鮮半島にまで明確な野心を隠さなかったロシアに対し、トラウマのように「日本はポーランドやフィンランドになりたくない。東京にロシアの総督府を迎えるのは御免である」と考え続けた。しかし物量で勝るロシア相手に大勝を期しがたいのは解っている(解っていなかったのは在野や大衆(例えば多くの新聞社)の方である)。そこを何とか作戦で6分4分の判定勝ち状態、つまり「甘くない勝利」を得て、仲介者を得、この戦争を終結したい。
 その仲介者こそが、第26代アメリカ大統領、セオドア・ルーズヴェルト。
 彼がポーツマス条約で果たした仕事は、誰が頼まなくても歴史に残るのと同時に、彼が日本の「大勝」を望まなかったことも、当時の力学からみて当然だったのであろう。


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 最終日、8日目の朝になった。
 帰りのフライトはJFK発15:00(GMT-4)なので、昼前までは時間が使える。
 空港でゆっくり飯を食うことにしても、11:00にホテルをチェックアウトすれば、2時間ぐらいの余裕があるだろう。
 様々な収集物を郵便で送るために、31条八番街の中央郵便局へ。
 そのあとの時間を使って、Theodor Rooseveltの生誕地へ行ってみた。例のバーンズ&ノーブルから少し上がって、20条にある。午前の日差しは、この街にスカイスクレイパーなど無いかのように、穏やかに射していた。




 ところで、この3日前に、タクシーのドライバーにも訊ねた「正直は最上の政策ナリ」という言葉は英語ではどう言うんやろか、というかねてからの疑問について、この記念館でも訊いてみたが、意図がうまく伝わらず結局中途半端に終わった。
 いくつかの展示室を見た。(写真が余りなくてゴメン)ここにはタイムズスクエアで観たようなセクシーな女性の姿は無い(当たり前である)が、それでも何だか楽しかった。
 記念撮影に収まってもらった後、来訪者名簿に署名し、ル元大統領に関するCD-ROMを貰った。情報の量が多い(ただしほとんど文字ばかり)。biographyやらspeech集やらので、帰国してからそれで調べたが、ヤッパリヒットしない。
 その後「坂の上の雲」を読み直したら、実はジョージ・ワシントンの言葉であることが判明。最後の最後に、ずっこけた。ま、間違いはあるわい。すビバせんね!

 セオドア・ルーズヴェルトの使った言葉として有名なのは、
  "Speak softly and carry a big stick, you will go far"
の"a big stick"という、邦訳では「棍棒外交」である。現代的な価値観に照らし合わせれば(「世界の警察官」を自認する米国にとっては当たり前という気もするものの)必ずしもポジティブなニュアンスだけを感じないこの言葉も、ル元大統領のポリシーとして(例えば1907.12.6)、このCD-ROMにもキッチリ掲載され、堂々と伝え続けられている。

 
お世話になりました


「はじめてのニューヨーク」 次回は最終回です。 長らくお読みくださりありがとうございました。
 第20回「ホテル・航空会社&戦利品」
 10月3日(木)0:00更新予定です。



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