はじめてのNY⑪ Goethe-Institut New York

・2013.4.30(Tue),9:00(GMT-4)

 6日目の朝になった。

 僕は24歳の時から2年ほど、Goethe-Institut(以下、GIと記す) Osaka、日本語で言えば大阪ドイツ文化センターのドイツ語教室に通っていた。教養課程の第2外国語としてはサッパリ勉強しなかったくせに、授業の合間に阪大混声合唱団であほほどドイツ語の曲を仲間内で歌っているうちに、少し勉強してみたくなったのである。
 それで、その半年前から阪急六甲にある教室に通っていた。

 それに加えて、同時にNHKのラジオ講座も聴いていたことが、ひとつの運命だった。
 NHKラジオドイツ語講座の1990年10月~翌年3月、金曜・土曜の応用編は「新聞購読」がテーマだった。1990年10月3日に「東西ドイツ再統一、および第二次世界大戦戦勝国のドイツに対する権利放棄」という極めてエポックメイキングな出来事があり、その前年からコール・ゴルバチョフ達の八面六臂の動きがあり。そのためなのだろう、視聴者から「ぜひ新聞を取り上げてほしい」という要望が多かった、と講師の渡辺健教授が書いておられる。

 第1回「ワールドカップ優勝後の大騒ぎ」

 そのテキストに、東京のGIが広告を出した。


 うかっと応募したら、どうも他に応募者がいなかったらしい。当選通知が来た。


 かくして1991年3月、阪急六甲の教室を辞して、当時北区堂島浜の新ダイビル9階にあったGI Osakaの門をくぐることになった。
 実はこれとほぼ同じ時期に研究室に配属されたのだが、どうしても身が入らなくて、工学の研究ではなくドイツ語の勉強が(時間はともかく)意識上のメインになってしまった。何をしに大学に入ったのか全く倒錯していた。

 沢山の人との出会いがあり、今でも何人かの方とは交流があるが、ここで思い知ったのは、
 「語学は翻訳能力ではない(それもあるけど)。そもそも話す『内容』を持っているかどうかが問題だ」
ということである。結論から言うと持ってなかった。教師に"Grammatik ist egal(文法はどうでも良い). お前の意見を言え"とよく言われた。
 GI Osakaで今でも語学部におられる(多分)K.ASANOさんの言葉を借りれば「例えば、映画を観ている人は上達が速いわね」ということだった。映画なんてそんなに観ていない。そのようなわけで、GIのドイツ語教室の宿題をこなすにあたって、「内容」を考えるのに苦労した。
 それだけではなく、文法などの面も含めて、ドイツ語の能力が順調に伸びたわけではなくて、2年間の在学中は「ZDaFに2回不合格」というのが成績の全て。特にMündlicher Ausdruckでことごとく不合格になった。雪辱にはその後3年を要することになる。

 一方、英語については悲惨なことになっていた。
 一所懸命勉強したのは予備校時代までで、大学に入ってからはまるで使うことがなくなった。教養課程で英語のテキストを読んだり、研究室で英語の論文を読む真似事をしたのは、英語を使った内には入らない。
 はじめて海外旅行に出たのは就職して7年後のことで、その後も何回か出かけたが、日程のほとんどをドイツとフランスに割いたので、英語を使ったことなどまるでなかった。
 だから、アメリカに来てまでThemaとかVielen Dank.と言ってしまうのは余りイイ印象を与えないことは分かっているねんけど、英語の"Thank you."の"th"の発音やあるいはthemeという単語が、もう心身から無くなっているのに対して、独語の方はラジオ講座で繰り返し聴いた"Hören Sie bitte gut zu."というような、断片的なセリフが残り香のようにまだ身体に留まっている(ただしHörenの力はほとんどない)というぐらいの事情があった。

                     ・・・・・・・・・・・

 僕が今回の旅行先にNYを選択したのは、「都市装置の典型」が見たいと思ったから。それについては、この旅行記で、わずかに触れた。
 しかしながら、NYで出会ったのは、都市装置だけではなく、少しシンドイ経験でもあって。
 ちょっと想定外だった。内容は残念ながらblogには書きにくいので省略する。いささかも日本国外務省等に迷惑をかける性質のものではないが、問題を抱えたまま日本に帰りたくなかったので、どうしても現地で解決したかった。
 だから、ホテルで出会ったいろいろな国から来た旅行者の人に、話を聞いてもらった。ほとんどがヨーロッパ大陸の方で、中にはドイツの方も多かったので、つとめて片言のドイツ語を使うようにした。
 その中にGI Düsseldorfの方がいらっしゃった。たまたまデュッセルドルフのGIには訪問したことがあり、調べ物をするために図書室のパソコンを使わせてもらったりミネラルウォーターの大瓶を出していただいたことがあった。
 それで、今日はNYのGIに行って、できれば雑談でもしたいと昨晩あたりから考えていた。ホテルではともかく、GIで雑談できるような会話力は無いのは判ってたんやけど、どうしても今日は「MoMA」とか「エンパイアステートビル」といった観光地に行く気がしなかった。
 念のため申し上げれば、GIはドイツと諸外国との文化交流およびドイツ語の普及等を本来の業務としている。そこに、例えば、「人探し」等の個人的に重要な依頼が持ち込まれる事があって、大阪のGIの職員が辟易しているという事を知っていた。
 だから「雑談」目的で行くのは、気が引けた。それでも、今日は誰かと話していたかったので、ダメもとでSOHOのSpring St.にあるGI New Yorkのオフィスに行った。


大きな地図で見る M5・South Ferry行きのバスで南下

 
ここの11階

 フロントの女性はサンパティックな方だった。
 僕の希望を聞くや、2か所ほどに電話をしたのち「解りました。ここにお越し下さい」と、ニューヨーク大学(NYU)内の"Deutsches Haus"というところを紹介してくれた。
 
GI New Yorkのパンフレット

 それで、地下鉄6号線でAstor Placeへ上がった。
 
光の射すプラットホーム

 降りて地上に出てみると、東西南北の感覚が分からなくなった。
 何とかたどり着いたが、フロントに誰もいなかった。


Deutsches Haus

 数分後出て来られた方に同じような希望を述べると、「今日の午前午後はイベントは無くて、誰も来ないのでアナタの希望には応えられません。」と言われた。こちらの話すドイツ語はもうドイツ語になっておらず意味が自分でも分からなくなっていて、結局返答は英語で返ってきた。トホホ。
 それでも諦めず、何かないか探した。
 この辺り1km平方ぐらいがNYUの諸施設らしく、案内看板の中にNYUのウェルカムセンターなるものを見つけた。
 
NYUウェルカムセンター

 そこの扉を開けて、最初少し物怖じしたが、思い切って

 "I am a traveler. Today I prefer to talking with people in NY rather than sightseeing alone."

と言う趣旨のことをフロントの女性に言った。
 そうしたら、物珍しいのか、あるいは「すわ何事?」と思われたのか、10人ぐらいの職員が集まってきた。
 結局、その中のJudyさんと言う人の奥さんが日本人らしく、携帯電話を僕に渡して、「ワイフと話してくれ」と言われた。奥さんに日本語で用件を話すと(長くなるので結果のみ書けば)、「NYUの1時間ツアーに参加して、大体この辺りの方はフレンドリーな方が多いですから、その後どなたかとlunchでも行けばいかがですか。」とのことだったので、11時から始まるそのキャンパスツアーとやらに参加してみた。
 
NYUキャンパスツアーのガイドさん

 しかし、思うような果実が得られなかった。
 20人ぐらいいたツアー参加者に話しかけてみたが、どうも要領を得なかった。
 韓国、フランス、ニカラグア…一組だけシアトルからのグループがあったのを除いて海外からの旅行者で、家族とか友人同士、要はグループだったので、昼食を共にすると言うような人はおらず、ツアー終了後蜘蛛の子を散らすようにめいめい次の目的地へ消えていった。僕の希望を知っていたガイドの女性が、何だか済まなさそうな顔をしていた様に見えたのが、かえって申し訳なかった。
 原因の一つは英語力が拙いという事に収束するのだろうし、今にして思えば、立場を逆にして考えたらあの時の僕ほどウェットで気色悪いヤツはいなかった、と言うべきなのだろう。人間、距離感を間違えると碌なことが無い。



 昨日と違って、今日はうららかな晴れ。 
 NYUビジターセンター前の公園では、多くの人々が思い思いの昼休みを過ごしていた。勝手に楽器を演奏する人、本を読みふける人、さまざま。一人で過ごしている人が多い様に見えた。ニューヨークにもいろいろなところがあるし、ほんの一部しか見ていないけど、ここではカップルやグループという姿は、余り見なかった。人間、他人とのつながりが無いと生きにくいのだとは思うけど、大学というところは、基本的には個々に勉強してめいめいのセオリーを打ち立てる所なのだろう。

 心身ともに疲れていた。久しぶりの海外での寝起きは、思った以上に消耗するものだと思った。
 僕は留学という事をしたことが無いしその必要などなかったんやけど、「留学すると、こういう気分を味わうことがあるのかもしれない」などと思ったりした。この後、旅行者らしい軽さと言うか気楽さを取り戻すまでに、さらに少しの時間を要することになる。

                     ・・・・・・・・・・・

 留学といえば。
 最初に触れたGI Osakaドイツ語教室のクラスメイトは、バンバン海外に出て行った。
 それも「数年後に日本に帰って来る予定で行く」のではなく、「Regensburgで働き口を見つけたので当分居続ける」とか「Mils(オーストリア)で歌い手として暮らす」とか「国際結婚してBostonに引っ越しする」といった人を何人も見送った。全部女性だった。ドイツ語教室の生徒はFrauen:Männer=1:1に近い比率だったが、これ以外にもRosenheimやRotenburg ob der TauberのGIで数週間とか数か月のドイツ語研修を受けるといった話もほとんどが女性で、当時そういう発想も金も行動力も無かった僕は、フットワークの軽さに感心するしかなかった。
 それでも、当時GI Osakaの教室の講師と受講者とでちょっとしたPartyをしてあげるというような事が時々あり、Asanoさんから「受講者有志に歌やその他出し物を募るから、アナタがAnsager(司会者)をして下さい」と言われたりした。ドイツ語でAnsagerができるような力などなかったのだが、誰に大迷惑がかかるわけでもないので、確か2度ほど、滅茶苦茶なドイツ語と日本語のチャンポンで(だって、急に「メドレー」とか言われても独逸語でどう言うかわからんかったし)汗かきながら話したとか、2年間の間に他所ではできないことを経験した。職員・講師の先生方、Teilnehmer/inのみなさま、その節は大変お世話になりました。なんだか、またGIのドイツ語教室に行きたくなってきた。
 
なぜか保管していたAsano女史直筆のAnsagerメモ


 それにしても腹が減った。どこかで飯を食おうと思った。
 流石学生の街なので、NYUのオフィスにもう一回行ってレストランマップをもらうと、近くに手頃な店があった。
 ペンネが食べたかったので、ペペロンチーノを注文して、白ワイングラス1杯。



 暑かったので、その後カルダモンオレンジのソルベッティ。
 香りが凶烈、もとい強烈。


今日の昼飯
 ・OTTO New York
  八条五番街右入ル
  1-212-995-9559


「はじめてのニューヨーク」は、毎週木曜日0:00に自動更新します。
 次回は、「Sex and the Cityについての疑問」8月8日0:00更新予定です。
 ただし、その日の出来事などを都度投稿することがあります。

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